悩ましい建築設計

新国立競技場の一悶着

今年はオリンピックが日本で開催される予定でしたが来年になりましたね。

6歳の子供がいるので競技を見せてもよいかなと思っていましたがチケットの抽選はもう終わっているようで、まあいいかなという気持ちになりつつあります。もともとオリンピックというイベントにそこまで興味があるわけでもなく、このような打上花火的なイベントを開催する予算があるのであれば違うことに使ったほうがよかったのではないかという考えが拭いきれない方なのでテンションがそんなに上がらない、というのが正直なところです。

 2013年9月に2020年のオリンピック開催国が日本に決まり国立競技場のデザインがメディアにもとりあげられました。もうすでに忘れ去られている感もありますが選ばれたのはイランの先鋭的な建築家、ザハ・ハディド氏の案でした。全体が甲殻類を思わせるようなデザインですごいなと思っただけで私自身はこのデザインが公表されて特に何か大きな問題を抱えた案だとは思っていませんでした。日本の多くの人は著名な建築家も審査員にいることだし、この案で進むのだろうなと思っていたはずです。しかし様々な情報を確認していくうちに自分の無知や見識のなさを自覚するとともに、ザハ氏の案がそのまま実現することはこの国にとって有益なことなのか、公的な資金を投入するに値する計画なのか疑問を持つに至りました。

 この案では建築に3000億円という多額な費用がかかるという試算がなされその他の問題も同時に表面化していきました。建物全体に架かる象徴的なキールアーチという梁の構造が現実的には施工不可能だという話も出てきました。キールアーチが巨大すぎて地下鉄にぶつかってしまうがどうするのか、その解決策は示されていませんでした。また、そもそもそのデザインが周囲の建築物やそれらが含有する歴史的な意味とマッチングしない、施設が大きすぎてオリンピック後に競技場を継続的に使用するにあたり、席を埋めるだけの大きなイベントは多くは存在せず維持費が財政を圧迫する可能性が大きいなど無視できない問題点がいくつか指摘され日本中で様々な議論がなされました。結局、2015年7月17日に安倍晋三首相によって新国立競技場のデザインは白紙撤回され再度コンペが行われた結果、建築家の隈研吾氏デザイン案が選ばれ、現在の新国立競技場が完成に至りました。 建築家の槇文彦氏はザ、ハ・ハディド案に対して2013年8月に異議を唱える論文を発表していました。彼の主張として注目すべきところは”外苑は当時の市民に広く解放されたスポーツ施設を持った地域であるが、主役は絵画館とイチョウ並木でありスポーツ施設は脇役に過ぎないことがはっきりわかる”という部分。そして異様に大きな新国立競技場とその脇にポツリと存在する絵画館のパースを提示してこの指摘をしています。大きすぎる、新国立競技場は周囲の建物、環境との調和を無視していることが一目でわかります。

ザハ氏の案 手前の絵画館とのミスマッチが指摘された

 このコンペ案はあたえられたプログラムに基づいてデザインされたものでありプログラムでは8万人の観客を収容する全天候型の施設が要求されていました。8万人もの動員をし得るイベントはロックコンサートくらいしか存在せず、それも年に何回開催可能なのかわからない。またプログラムによるとこの施設の総床面積は29万m2とされており国立代々木競技場の8倍、国際フォーラムの2倍以上の面積であり管理に必要な人員や消費エネルギーなどこれらをまかなう収入について十分に考慮されたものであったか疑問がもたれていました。問題の核心はザハ氏のデザインではなくコンペの募集要項であるプログラムの内容であったと言えます。建築エコノミストを自称する森山高至氏もその著書「非常識な建築業界 どや建築という病」で新国立競技場の一連の流れを見て、嫌な予感を覚えたと記しています。

 その理由は、それまでに森山高至氏が見てきた日本全国の公共施設に関する設計コンペの失敗例と酷似していたからだと述べています。要求がふくれあがる一方でそれらの要求の妥当性や実現性は検討、吟味されることなく設計の条件として提示される。審査する側もその建築物の歴史や地域との関係性や経済性、継続性などの深い考慮、検討なしにデザインのインパクトや著名な建築家のデザインであるかどうかをクローズアップして審査するのみで、失敗したとしても誰も責任をとるつもりもないという状況。このようなやり方が一過性のお祭り騒ぎのあとに莫大な維持費という負の遺産を地方の自治体などにいくつも残してきたと言います。

建築の設計者に求められるものとは

建築の設計者に求められるものは何なのか、それは昔から変わらないはずなのですが近代の歴史のどこかで歪んだ方向に建築関係者の考え方が変わってしまったのかもしれません。建築の設計者に求められるものは構造物として問題のないことや設備的に機能するものとすることなどは当然のこととして、それに加えてその建築物に求められる歴史的な意味における連続性を考えることや、地域性との融和、建物の使用者の利便性、その建物に関わる人たちの利益、発注者の意図の尊重、などそれらいろいろな思いを調整して形にすることであり、建築とは極めて公的な行為であり多くの制約のなかに成立しているものです。私的な芸術性の発露などは本来関係のないことのはずなのですが、いつからか表現建築家と呼ばれるような人たちの私的な自己表現を建築物に反映させることがまかり通るようになってしまったということなのかもしれません。ザハ氏は日本の神宮前の歴史や周囲の建築物についてどれほどの理解があったのかはわかりません。この周囲と調和しないデザインを斬新的だと褒めて予算が膨大になる試算があったにもかかわらず採用した審査員の側、しいてはこのコンペのプログラムを考案した役人達にも大きな責任があったはずです。ザハ氏はこのコンペに踊らされた一人の犠牲者とも言えます。

 設備設計者の目から見て建築の設計者の言うことは無理難題だと思われることがかなりあります。それでもできるかぎり設計者の意図を尊重して納まりを調整して、どうしても無理な部分は意匠的に妥協をしてもらったりします。私が関わってきた設計者はこういった面倒な調整事を一緒に考えてくれる、あるいは、こちらの考えをある程度尊重して調整してくれるまじめな設計者がほとんどだったと思います。まあ、中には設備の納まりなんか知らないよ、というスタンスの方もいらっしゃいます。その場合は、現場の監督や職人と打合せしながらなんとか納めるところは納めて、物理的にどうしても無理なところは、とにかく設計者に言って承認をもらうということでやってきました。各方面に対する調整事はやはり面倒な仕事だと思います。

 建築の設計は公的な意味合いの強い、私的な表現の入り込む余地は本来ないものと言いましたが、丹下建三が設計した代々木体育館のように公的な要求を満たしつつ設計した結果が芸術的にも高い評価を得る建築物となったという例もあります。そんな奇跡を起こすことを夢見ながら、明日からまたやっていきましょう。でも設備屋さんにも優しくしてね、というお願いもしつつ。

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