感染症と人類はどう付き合うべきなのか?この世の中からウィルスや細菌を完全になくすことができるとは思えません。
これまでの歴史上で人類が根絶できたのは天然痘だけです。
インフルエンザウィルスは根絶どころか進化が早いのでワクチンも毎年新しい型を準備して対応しています。
私たちはどのように感染症と対峙すべきなのか考えてみます。

開発と感染症拡大の関係について
感染症を考える論点として大事だと思うこととして、人間の開発行為との関係性があげられます。
森林を伐採して農地として開発していく過程で感染症が流行するということが繰り返されてきました。
ペストが14世紀にも大流行しましたが、この時の原因の一つとして考えられているのが農地開発のための開墾による森林伐採の影響です。
これによってネズミの天敵のワシやタカやキツネ、オオカミが急減しネズミの大発生を促したと考えられます。
また、都市部に生活者が集まるようになったが衛生環境が整備されていない時代だったので肉の解体屑や排泄物などが周囲に捨てられてネズミの格好の餌になっていました。
感染症の流行についてはブッシュミートと言われる食料にする野生動物が原因になっていることが多いとみられています。
それまで手をつけていなかった森林の伐採により奥深くにひっそり暮らしていた野生動物と人間が出会うことになります。
未知のウィルスの宿主となている野生動物を人間が食べた時にそのウィルスが人間にとって生命に危険を及ぼすほどの毒性を持っていた場合は第一号の感染者になってしまうということです。
エボラウィルスの自然宿主はオオコウモリではないかと言われていますし、ペストの自然宿主は齧歯類のマーモットと言われています。
アフリカ中南米で活動する科学者団体のエコヘルス連盟のジョナサン・エプスティン副会長は「新興感染症の75%は動物に起源があり森林破壊によって本来の生息地を追われた動物たちが人里に押し出されて病原体を拡散させるようになった」と警告しています。
農耕の開始から感染症との悩ましい共存も始まった
人類の歴史の初期から感染症は存在しておりマラリアは初期人類の間ですでに存在していた可能性が高く悪性マラリアを起こす原虫は500~700万年前にチンパンジーとヒトの祖先の間で分化した可能性が高いそうです。
しかし狩猟採集生活をしていたころの人類は感染症に悩まされてされていたかというと、意外とそうではありませんでした。
先史時代の人類における感染症は炭疽症とボツリヌス症がありますが両方ともヒトからヒトへの感染はなく獣肉食などによっておこります。
人類の感染症において転換点となったのは農耕の開始、定住、野生動物の家畜化でした。農耕によりそれまでより狭い面積に人口が多く集中するようになり、かつウィルスを持つ野生動物を家畜として飼育する環境が人類に多くの感染症をもたらす原因となりました。
天然痘は牛から、インフルエンザは鶏から人間にもたらされたウィルスが原因の感染症です。
さらに四大文明が現れて人口は増えていきましたが感染症のレパートリーも繁栄と共に増えて定着していきました。

それでも人類は繁栄を重ねて現代に至ったわけで人類全体というスケールで考えれば農耕生活から都市生活への移行によるメリットは感染症によるデメリットよりも大きかったということになります。
グローバル化が高度に進んだ現代、新しい感染症は一瞬にして世界全体に拡大します。
そう遠くない未来にペストのような強毒性で感染力の高い感染症が現れる可能性はあります。
これらの感染症にどのように対応していったらよいのか、パンドラの箱を開けてしまった人類は今後も苦慮し続けなければならないということです、私自身も苦悩する一人ということになりますが。
腹を決めて許容できる範囲で共存する
新型コロナの報道などを見ていて思うのは、検査を徹底して感染者を完全に隔離しようとする人は簡単に新型コロナウィルスを根絶できると思っているのか、ということ。
不思議に思いながら見ています。
例えば、インフルエンザの予防で毎年新しいワクチンを接種しなければならないのはインフルエンザが毎年変化していくからです。
簡単に根絶ができるのであればこのような対応にはなりません。
現在、人類はインフルエンザを根絶する術を持たないため付き合っている状態ということだと理解しています。
風邪の症状の原因となる4つのコロナウィルスも根絶はできていません。
よく、本当に風邪を治す薬ができたら大発明だという話を聞きますが、人体に対してそれほど毒性が強くない4つのコロナウィルスに対してさえ根本的な効果のある薬がないということです。
まあ、4つのコロナについては毒性が弱いからそんな薬を開発する必要性すらないのが本当のところだと思いますが。
人類の文明の進化と感染症は深い関わりがあり農耕が始まってから以降、感染症から逃れられない運命である限り、腹を決めてある程度の毒性の感染症とは共生をしていくしかないです。
というかこれまでそうしてきたし、これからもそうなんでしょう。
イヤイヤ、俺はウィルスやバイ菌と共生なんてイヤーっと言っても、もう遅い。今にでも誰にでもウィルスや菌が襲いかかる可能性はあります。
日本の新型コロナ騒動は科学や医学を無視した社会問題
新型コロナ根絶したいと言っても今すぐに、PCR検査と隔離で、は無理があります。
これを本気でやったらずっと、今日の感染者は〇〇人です!ひーっ怖いわーっ、て毎日繰り返すのでしょうから…そして、このやり方では経済活動も停滞したままになります。
検査を増やして陽性者を数えていったらそれはどんどん数字は大きくなるでしょうから。
このような弱い毒性と推測される新型コロナのためにまた緊急事態宣言を出すようなことをしても意味はないです。
これがペストなどであればまた違う対応になるのでしょうけど新型コロナは今の日本においては風邪のレベルです。
少なくとも毎年流行しているインフルエンザよりは毒性が弱いと言えます。
無症状や軽い症状の方を入院させるから医療関係者が疲弊しているのであって、本来は新型コロナは指定感染症の分類から外してクリニックなどでも普通に診察できるようにするべきです。
老いも若きも風邪と変わらない新型コロナにこれだけビビっているのは日本人が持っている死生観の問題でもあります。
ご飯を自分で食べられなくなったりしたら諸外国では延命処置はしないで自然に死を待ちます。
ロックダウン政策をとらなかったスウェーデンでは無駄な延命処置は虐待と考えられています。
いろいろ書きましたが、本当はかなりの数の日本人がこの日本の新型コロナ騒動はもう科学や医学の問題ではなくて社会的な問題だと気付いていると思っています。
会社で同部署の20代の女性が「コロナはもう別に怖くないんだけど風邪を普通にひけないのが怖い、ひいたら周りから何を言われるのかわからない」と言っていました、この言葉は印象に残りました。
もう今のこの状況は異常としか言いようがありません。
この空気感を変えたいと思って最近、新型コロナネタばかり書いてしまいますが、まあ、このブログでどうこう言っても効果がほぼないかな…新型コロナより弱いな。どうしてよいのかわかりません!