カミュ「ペスト」日常を愛せない人 コタール

カミュ「ペスト」の登場人物の中に異常な人がいます。

ペストが流行している最中は気持ちが安定していたが、流行が終わりそうになるとまだペストの禍いが続くことを祈るかのような発言をします。いつの時代、どこにも、世の中の不幸を喜ぶ人間は存在するようです。

ペスト流行なのに気分上々

「ペスト」に登場するコタールという人物は、はっきりどのような罪を犯したか書かれていないのですが、おそらく、殺人に手を染めています。逃亡している身として描かれますが彼はペストが流行する前に自殺未遂騒ぎを起こします。幸か不幸か知人のグランに発見されてして一命を取り止めます。

オランでペストが流行し始めて人々が混乱する中でなぜかコタールは気分が次第に上がっていきます。彼はペストが流行したことを明らかに喜んでいます。コタールについての描写を読むと彼がなぜこの状況を喜ぶのかわかります。

「コタールのように全ての人々が、ひょっとすると密告者であるかもしれぬと思いながら暮らしてきた人間には、ペストが今日か明日にも彼らの肩に手をかけるかもしれず、ひょっとすると、こっちがまだ無事息災であることを喜んでいる瞬間に、そうしかけているかもしれない、という考えのなかで生活している人々に対しては、こっちも結構仲間同士のような気持ちでいられる。」

要するに自分が置かれた悲しい状況にみんなも陥っている。周りの人がみんな悲しい状況になって自分と同じになった、この状況ずっと続いてほしいな、これがコタールの本音ということです。

現代にもいる世の中の不幸を喜ぶ人

あまりにも考えていることがバカバカしくて呆れますが、わかる気もする心理ではあります。自分自身がうまくいっていないときに幸せそうな人達を見ると羨ましく思うのと似ていると言えば似ています。

このコタールの描写を読んでいるときに私が思ったのは、メディアで新型コロナの恐怖を煽ってきた人達のことです。2週間後には日本もイタリアやニューヨークになりますとか、死者数が急増して医療崩壊するなど予想して外した専門家やコメンテーターはこの騒ぎを煽って楽しんでいるのではないかと。視聴率さえとれれば報道する内容はなんでもいいということなのかわかりませんが、実際、死者が指数関数的に増加したらこの予想をした人は自分の予想に近づいたと内心は喜ぶはずです、表面上は死者が増えたことを悲しむように取り繕いながら。

現実の日本の方がたちが悪いのは、存在しない脅威をメディアが煽り、影響された視聴者が過剰反応し、さらには目立ちたい都知事や県知事などの指導者までがこのブームにのって自粛を呼びかけて経済にブレーキをかけ続けていることです。

騒ぎを大きくしておきたい人達の心の中に何が潜んでいるのかは、わかりません。コタールのように過去に殺人を犯したうしろめたさをかかえているわけではないと思いますが、何がそうさせるのか、本人も気付かないコンプレックスがそうさせているのかもしれません。

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