新型コロナの話題で4回連続となると、もうこのブログは何がメインテーマなのかわからないくらい霞んでしまいましたが今週も書こうと思います。
今回は自由や文化についてです。
新型コロナ騒動に自由を奪われてしまっています、そして文化的な活動も萎縮しています。
コンサートや観劇などが制限されているこの状況はまったく面白くありません。

縛りたがる人達
感染症法改正で入院を拒否したら50万円以下の過料を、濃厚接触者の調査を拒否したら30万円以下の過料を支払わなくてはならないということになりました。
何が問題かというと、陽性でも無症状で普通に生活できる人達の行動までも縛られてしまうことです。
新型コロナに関しては毒性の弱さから、無症状者の行動まで縛る必要はないと私は考えています。
インフルエンザの時はこのような決まりはなくとも毎年、手洗いうがい必要に応じてマスク着用などの対策で1月末から2月頭の感染のピークが過ぎれば集団免疫ができて自然に収束していました。
なぜ、インフルエンザよりも弱毒の新型コロナに対してこのような法律が必要なのでしょうか、理解に苦しみます。
一度できてしまった法律は悪法であってもその撤廃をするのは簡単ではありません。
また、日本の場合は法律で決まりを作らなくとも「要請」だけすればかなりの強制力を発揮してしまうのも問題です。
小池百合子都知事が出した御触れ?でしょうか、20代と30代の若者に対して、昼も夜も外出は控えてください、飲み会はナシ、家で友人との飲食もナシ、職場の送迎会や仕事の打ち上げもナシ、スポーツ観戦や映画などイベント後の会食・飲食もナシ、カラオケ・ゲームセンターも控えて とのこと。
なんの科学的根拠と権限があってここまで人の行動を縛ることができるのでしょうか。

学級会で決めたことなのか?ギャグなのか?小池百合子のパフォーマンスに付き合わされる若者の気持ちは無視でしょうか
これをすることが科学的に感染者の減少に本当につながるという証拠はあるのでしょうか。
なぜ20代と30代のみを対象にこの要請が出たのでしょうか、警戒すべきはむしろ60代以上の方ではないのか、高齢者の方にはなぜ外出のナシナシ要請は出さないのでしょうか、これは若者差別ではないでしょうか。
このような要請を出した場合にカラオケやゲームセンターの営業妨害になると思われるが、それは問題ないのか。
そもそも、これほど弱毒の新型コロナに対してこの要請は不要です。
たちが悪いのは、これが法律ではなく要請であることです。
要請というのは法律ではないので強制性がない、つまりこの要請に従った場合は各個人の判断で従ったとみなされます。
個人の判断で勝手に従ったことなのでこの御触れによって被った実害があったとしても東京都はなにか補償する必要もないということになります。
これがまかり通っていること自体が大問題ですが、このような指摘をする人が少数派というのもまた問題です。
このような要請は憲法13条の「個人の尊重・生命・自由・幸福追及の権利の尊重」などに反する可能性があります。
憲法は権力者の暴走から国民を守るために存在していますので、よく憲法を確認して人権が侵されているレベルであれば国や都を訴えることも可能なのです。
文化を破壊するコロナ脳
ロックミュージシャンというのは反骨精神の象徴だと思っていましたがステイホームを訴えるミュージシャンが出てきたときはズッコケました。
4月頃にネットかなにかで見た記事の記憶なのでこれだけ長い期間まともにコンサートやライブが開催できない状態が続いている現在、そのミュージシャンが何を思うかはわかりませんが、最近はステイホームを叫ぶ芸能人は明らかに減りました。
まあ、マスクもつけずにドラマ撮影してステイホーム叫んでるわりには芸能活動というのがリモートワークでは成立しない仕事だからガンガン外に出ている、そういった現実のためにステイホームがトレンドから外れていったのでしょうね。
所詮はステイホームすらトレンドで言っていた言葉に過ぎないのです。
しかし、その破壊力は恐ろしいほどです。
昨年春に中止になったライブが今年の春、また中止になっています。
ネットでライブの配信をしてなんとか食いつなげるのは一部の大物ミュージシャンなどだけでエンターテイメント業界全体が大きな影響を受けています。
経済が庶民の生活の源であるとすれば、文化は庶民の心の豊かさを育むものであり、両方とも人が生きていく上で重要なものなのですが、新型コロナという弱毒のウイルスのためにこれだけの犠牲をはらう必要性があるのか考える必要があります。
新型コロナ恐いと言うマスコミをはじめとするコロナ脳の方たちは、自分たちが文化を破壊しているという自覚がないのだと思います。
また、文化が失われても知ったことではなく、とにかく自分が新型コロナにならないことを願う人達、それがコロナ脳の人たちの本質です。
なんでインフルエンザの時は騒がなかったのでしょうか?
「新型コロナだから恐い」と騒ぐこと自体がおかしな話だと気づかない、それがコロナ脳なのでしょう。
自由はいとも簡単に奪われていく
自由は権力などによって簡単に奪われていくものです。
わかりやすい例をあげるとすれば中国の香港民主派の活動家に対する姿勢です。

これは特定の活動家に対してではないか、という反論があるかもしれませんが中国はチベットの先住民の虐殺という侵略的行為をこの時代にやってのける国であること、天安門事件の事実隠蔽をする情報操作をやってのけてしまう国であることから人権に対する配慮自体がそもそも欠如していると考えられます。
当然、そこに暮らす国民に真の自由はあるはずがありません。
日本の話に戻って、感染を防止するという名目でできた50万円や30万円の過料を課す法律もまた、公的権力が国民の自由を制限するものです。
感染を防止するためだから仕方ないのでしょうか?
これを仕方ないと思うのは思考停止していることを意味します。
なぜなら、新型コロナは弱毒ですからここまでの法律が本当に必要かどうかが精査されないままに国民の権利を狭める法律が成立してしまったことには問題があるからです。
ワクチン接種する、しないの自由
日本でのワクチン接種もそろそろ始まるようです。
ワクチン接種のする、しないの選択は個人の自由です。
ワクチンの接種については医療従事者であってもそれを強制することはできないし、接種しない人を差別するようなことがあってはいけません。
理由はいくつかあります。
まず、今回のワクチンは短期間で作られたもので通常の試験期間を短縮して実用化しているのでいわば、これから人体実験が始まると言っても過言ではない状態であることが1つ目の理由です。
もう一点は、これは日本などの新型コロナの感染者や死者数が少ない国で言えることですが、そもそもワクチンを接種するほどの事態でもなく、毒性の弱さから考えると通常の感染して免疫を獲得していくという考えで十分対応できるであろうと考えられるため、です。
ちなみに私は接種する気はありません、歯医者に行くのがめんどくさいというレベルの感覚で行きません。
それで新型コロナにかかったとしてもまったく後悔などしません。
その時は、ああ、罹ってしまったなと思うだけです。
そんなことより、弱毒の新型コロナにビビって自由と文化を奪われているような今の状況は本来あってはならない事態です。
1日も早く、通常に戻ることを願いつつ新型コロナのことを1ヶ月にわたっていろいろ書いてみました。
いろいろな本を読んだりネットでも調べて組み立ててみてはいるのですが、読む人によっては素人が何を言っているんだと一蹴されてしまうかもしれませんね。
たぶん、このテーマでまた書くことはあると思います、収束したとしても検証すべきことは残っていると思われるので。
本の紹介
以前のブログで読書感想文を書きました。カミュ ペストは読後感が爽やかでした この日本の新型コロナのゆるい状況と比較にならない状況が描写されています。
憲法の本質は国家権力を縛ることにあることが書かれています。巻末に憲法の条文が掲載されているので使い勝手がよいです。