狂っているのは自分なのか?世の中なのか?〜その4〜

3回目のワクチン接種券が届くのかなと思っていたのですが、来ない様子です。

よく考えると2回目までの接種が終わっていない人に3回目の案内が来るわけないんですよね…。

2回目までの接種券は捨ててしまったのですが、同封されていた新型コロナワクチンの説明書だけ残してあります。

目を通してみると「現時点では感染症の予防効果は十分に明らかになっていません。ワクチン接種にかかわらず、適切な感染防止策を行う必要があります。」とはっきり書いてあります。

そりゃそうでしょう、治験中なのですから。

製薬会社の立場およびワクチン接種にかかる費用を公費対象とした国からのリスク対策の文言でしょうか、この一文を読んだだけでも何かおかしいと感じます。

こんな文言を説明書に書き込んでいるにもかかわらず、なぜ必死になって全国民に打たせようとしていたのか、3回目も打てば安心となぜ言えるのか、意味がわからない…わからなすぎるんです。

効くか効かないかわからんけど、打て!と言っているのと同じです、ツッコミどころがとにかく多すぎるんです、このコロナ騒動に関する話は。

さらに、副反応については「本ワクチンは、新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります。接種後に気になる症状を認めた場合は、接種医あるいはかかりつけ医に相談しましょう。」だそうです。

透けて見える意図は「このワクチンで何か起こったとしても国も製薬会社も責任はありませんし責任をとるつもりもありませんよ」というもの。

説明文で書いているのだから打つ人はリスクをわかっていて打ったということにさせられるのでしょう。

ただ、逆に言えば、そこまでわかっていて何故、全国民に推奨したのか?全国の新聞やテレビでもワクチンを推奨する宣伝を国家戦略的に行っていたのは間違いないです。

このワクチンで重篤な副反応が起きた場合や死亡してしまった場合、推奨したこと自体に対して国と製薬会社には過失があることになりませんか?

言い逃れすることなどできるのでしょうか?

はたして、狂っているのは誰なのか?

筆者撮影

北野武が「たんなる風邪だと思えばどうってことない」と言ってくれたのが嬉しい

実は北野武のファンです。

特に北野武監督の映画が好きで、大学生の頃は「ソナチネ」や「HANA-BI」のビデオを買って何回もみていました。

まだビデオデッキが主流でVHSのビデオテープでした。

確かソナチネとか一万円以上したような気がします。

あとはTSUTAYAでレンタルビデオの中古をねらって買ったりしていました。

大学1年生の時に「ソナチネ」をみた時の衝撃はすごかったです、これは天才だなと思いました。

ただ、当時の友達に北野武って映画監督として天才だよねって話をしてもなかなか反応は鈍かったです。

特に女子に北野武監督の凄さを語ってもまったくと言っていいほど反応なしでしたね。

心の中で、なんでわからないの??と思っていましたが北野武の映画は確かにデートでみるような映画ではないかなとは思います。

男友達2人だけ、ああ、あれは天才だと思うと言ってました、友達自体が少ないのですが。

「HANA-BI」でベルリン国際映画祭の最高賞である金獅子賞をとった時は、ほらみろ、やっぱり天才だろ、わかる人はわかるんだと自分ごとのように嬉しく思ったのを覚えています。

でも最近はコロナ騒動に対する発言が「コロナをなめちゃいけない」など、もしかして実はコロナ脳寄りなのかと思わせるようなものがあり、ちょっと違うよなと思っていました。

コロナをなめているとかそういう問題ではなくて、コロナで死ぬ人もいるのはわかっているけどインフルエンザと比較してさほど強い毒性のあるものではないと判断しているだけなので、なめているもなにもなくコロナ騒動前と変わらない生活をすればよいだけのことで。

コロナウイルスの感染症としての性質をどう評価しているかが北野武と私では違うということだと思いました。

一時期リモート出演していたのは、コロナを恐れていたからではなく周りの人に感染させる可能性があるから、とのことがエッセイに書いてありましたが感染しているかどうかもわからない人が感染させる心配してどおすんの?なにか症状が出たら普通に休めばよいのでは?と思ってしまいました…。

当初は新型コロナがどこまでの毒性かわからないということもあったので考え方次第でリモート出演の判断も仕方ないとは思います、出演すれば視聴率にもつながる人物なので感染対策を万全にして出演してもらおうと周りの人もすすめたと思います。

自粛警察のような行動は批判していたり、イソジンで解決のような話をしていた吉村府知事にも、そんなわけないと批判していたり8割くらいは納得いくのですが、なにか腑に落ちないままでした。

これらのことで北野武に対する尊敬の念が少し揺らいでしまっていました。

ところが、1/22のテレビ番組でオミクロン株に変異したコロナについて話したセリフが

「たんなる風邪だと思えばどうってことない、自殺者の方がよほど多いんだから、ジジイがくたばってるだけだから、オイラみたいなね」

「冬に風邪が流行った時と同じ状態で考えた方がいいって、あとは重症化する人は自分で自覚があるんだから持病がある人なんか、その人達だけ一生懸命サポートしてあげればいいんであってね」というもの。

北野武「たんなる風邪と思えばどうってことない」

これを聞いた時、ああ北野武がもどってきたなと勝手に思って、勝手に嬉しくなりました。

このコロナ騒動に対する考え方やワクチンやワクチンパスポートなどに対する考え方は、人の本質がストレートに出てしまうものだと思っています。

コロナを怖がっている人=臆病者

ワクチン接種を強制する人=偏った情報を信じ込んでいる人、現実を直視できない人

ワクチンパスポートを推奨する人=差別主義者

いずれにも共通するのが、不勉強からくる知識不足です。

言い過ぎ感はありますが、私はこのようにとらえています。

テレビの影響のない小林よしのりの「おどれら正気か?」が常識の感覚の中心地

あともう一点、思ったのは北野武はテレビタレントとして長年やってきて無意識のうちにスポンサーの意向に絡め取られている可能性です。

巨大企業などからの無言のプレッシャーによって自由に発言することが制限されてしまっているのではないかということ。

20年、30年前であればまだそこまで規制が厳しくなくて、テレビジョッキーで日曜の昼間にお姉ちゃんの生着替えとかやっていたのを覚えています。

でも、今はいろいろな規制が入り込んで優等生の小学生の作文みたいな模範的なことしか言わないニュースキャスターが普通になって、バラエティー番組も例外でなく、おとなしくなっていますからね。

規制、あるいは自主規制が強まったことがテレビがつまらなくなったひとつの原因です。

テレビ番組では自由な議論がなかなかできない、できたとしても放送されないのであれば、そのようなしがらみのない場所でなければ本当に自由な議論はできないということです。

その意味において、小林よしのりが主催する「おどれら正気か?」はテレビやマスコミは無関係なので発言の自由度はかなり大きいです。

おどれら正気か?どこまでも果てしない馬鹿マスコミと馬鹿政権

インフルエンザと同等か、それ以下である新型コロナウイルスは感染症5類におとすべき、という話や重症化も死亡例もない子供達へのワクチン接種は止めるべきだという話は、まっとうな庶民の常識的な感覚の話です。

小林よしのりはかなり早い段階から一貫してこれらを主張してきました。

そして、オミクロン株になってかなり弱毒化したのがわかってきて、ようやくテレビも変わり始めました。







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