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新型コロナ騒動〜ワクチン接種について、子供達や若者達、これから出産を考えている女性や授乳中の女性は接種を待ってほしい〜

2/17から本格的にコロナのワクチン接種が始まってしばらく経過しました。

とりあえず、私自身は積極的にワクチンを接種するつもりはありません、その理由は以前のブログでも少し書いていますが今回も後でふれます。

ワクチンは接種したい方は接種して安心を得られるということであればそれでいいと考えていました。

安心が得られれば通常の生活にもどれる方が増えます。

経済も通常にもどって、マスクを強要される雰囲気もなくなり、大学生は普通に対面で授業を受けられるようになって、子供達もおもいっきりのびのびと遊び、学ぶことができるようになる流れができるのであれば、それでいいと。

しかし、ワクチンの接種後の死亡者数の推移などを確認していて、これは本当に人間にとって有益なものなのかどうか、もしかしたら接種した人の将来に負の影響をもたらすかなりの毒性を持ったものではないかと疑念を持ち始めています。

ただし、直感というのはハズれる場合もあります。

仕事においても、直感だけで判断したことが間違っていたなどということはいくらでもあります。

だからこそ、先人達が苦労して蓄積して残してくれた知識や他人の意見から学ぶということが大事です。

いま、ワクチンに関する本を読んでいますが、当然仕事もありますし、なかなか読み進みません。

本当はもっと勉強してからワクチンのことについて書きたかったのですが周囲の変化が早すぎて勉強のスピードがまったく追いつきません。

しかし、かなりよくない方向に事態が進み始めてしまっているという可能性もあるので、今回ワクチンのことについて、いろいろな場所でいろいろな人が警告を出し始めていますが私も自分の頭の中を整理する意味も含めて、いまわかる範囲でのことを書いておきたいと思います。

ワクチンの件については、書こうかどうか迷いました。

世間のワクチンに対する考え方のほとんどがワクチン推進というのはわかっているので。

自分の直感とこの言動と行動が、本当の意味の公共の福祉のためになるものだと信じて書くことにしました。

時間が経って私の言っていたことが間違っていたとなったら笑ってやってください。

もしかしたら削除される可能性もある?のでしょうか、それもまた一興です。

spencerbdavis1 によるpixabay よりの画像

このコロナワクチン、接種後の死亡者数が多過ぎます

6/23に厚生労働省から発表された情報によるとコロナワクチン接種後の死者数は355名となっています。

約2210万人に接種しての数字です(首相官邸の資料から推計)。

画像をクリックすると厚労省のページが見れます

では、インフルエンザワクチンの場合の死者数は何人だったのか、確認してみます。

下の表は平成28年のインフルエンザワクチン接種後の副反応疑い報告数の資料です。

画像をクリックすると厚労省のページが見れます

平成28年は約5284万回、インフルエンザワクチンは1回ですからそのまま約5284万人が接種したと考えて、医療機関からの報告が6人、製造販売業者からが4人で合計10人の死亡者が確認されています。

平成29年は4917万人接種して9人が死亡。

平成30年は5251万人接種して3人が死亡。

だいたい、5000万人接種して死亡者は10人いくかどうかという感じです。

では、5000万人にコロナワクチンを接種した場合の死亡者数を推計してみます。

335×(5000÷2210)=757.9

約758人の死亡者数となることが現在の数字から予想されます。

インフルエンザワクチンが10人の死亡者数だったのに対してコロナワクチンは758人ですから70倍以上の人が死ぬことになります。

コロナワクチンの死亡者数は報告があがっているものだけでこれですからおそらく、本当の死亡者数はもっと多くいるでしょう。

この数字を見ただけで、何かがおかしいと気付くはずです。

キーワードは「血栓」

355人の中に30代と20代の死亡者が含まれていました。

30代3人と20代4人の年齢と死因等について書き出してみます。

年齡性別接種 日発生日
(死亡日)
接種回数基礎疾患死因等
263/193/231脳出血 
くも膜下出血
374/54/82花粉症心肺停止
264/285/31偏頭痛
睡眠薬服用
心肺停止
254/234/271精神異常
自殺
344/215/51肺動脈血栓塞栓症
286/46/825/14に
1回目接種
急性心機能不全
315/195/2923月ころから動脈不整脈心室細動

ここにあげたものの他に、高齢者の死因にも心臓停止や大動脈解離など血管などに関するものが見られます。

コロナワクチンを接種した後に血栓ができて血液の流れが阻害された結果、重大な症状に至ってしまうという例が多いようです。

ポイントは接種後に体内に血栓ができている可能性が高いということです。

いま、コロナワクチンに関する本を読んでいますが、今回採用されたmRNAワクチンは接種後に体内でコロナウイルスの外側についてるものと同様のスパイク蛋白を産生するようになると井上正康氏(大阪市立大学名誉教授)や、崎谷博征氏(医学博士 この方は反ワクチン論者のようですが)などが著書で述べています。

このスパイク蛋白に対して免疫反応をすることによって免疫をつけるという設計をされているのがmRNAワクチンということのようです。

問題なのは、このスパイク蛋白が血栓形成毒であるということを米国ソーク研究所の研究が明らかにしているということです。

355人の死因を見ていくと、スパイク蛋白が原因で血栓ができて、循環器系障害へ発展していくというストーリーが体のなかで起きてしまっていることが予想されます。

そもそも、このmRNAワクチンは今回初めて人類に使用されるものであり、しかも治験中であるにも関わらず一般の人でも接種できるようになっている特殊な状態ということを理解しなければいけません。

治験期間は2023年までを設定しているようですから、現在接種した方はすべて人体実験に利用されている状態であるということです。

それでも接種する価値があると考えるかどうか、それはもう個人の判断ということになります。

年代や地域によっては、ワクチンによる被害が新型コロナのそれを上回る可能性すらある

もう一点、言いたいことはこれまでに新型コロナで亡くなっている20代の若者は6/23時点で8人です、昨年1月頃から1年半近く経過して8人です。

これに対して接種し始めて4ヶ月程度経過した時点ですでに4人の20代の若者がワクチン接種後に亡くなっています。

これは何を意味するか、考えてください。

今後、若者に対する接種を推進することになっているようですが、

1日100万人というペースで接種していった場合、20代の若者の死者数が8人を超える可能性は高いです。

ワクチンを打って死亡するリスクの方がコロナで死ぬリスクを上回る可能性があります。

若者がワクチンを接種する意味がありますか?

まったくありません、それが明確な答えです。

子供にいたっては19歳以下は現在死亡者がゼロですから、接種させる意味など皆無です。

東洋経済オンラインより

なぜ、12歳以上の子供にも接種させるような話があがっているのか理解に苦しみます。

厚生労働省はファイザーのまわしものでしょうか?

アメリカで授乳中のお母さんがワクチン接種後に赤ちゃんに授乳したら、その赤ちゃんが亡くなってしまった事例などがあるようです。

少なくとも今の段階で、これから出産を考えている女性や、授乳中の女性、あとは将来のある子供たちにはこのコロナワクチンを打たせてはいけません。

あるいはもう少し様子を見て、いろいろな情報を確認してから決めていただきたいと切に願います。

最後に、子供の死者数がゼロであることからもこの新型コロナが弱毒であることはわかります。

日本人は新型コロナに対する免疫をすでに持っているということです。

よって若者に限らず日本人すべてにとってワクチン接種は本来必要がないと私は考えています。

この論点も忘れてはいけません。

新型コロナ 緊急事態宣言に意味はあるのか?

政府が緊急事態宣言を出すことを決めたようです。

ゴールデンウィークは昨年に続いて今年も潰れます。

いきなり結論を言ってしまうと、以前のブログでも同様のことを述べてきたましたが緊急事態宣言は出しても意味がありません。

経済活動が停滞することや職を失う人、自殺者の増加など負の影響が大きすぎることに対して緊急事態宣言を出すことによるメリットがまったく見えてこないため私自身は緊急事態宣言は出すべきではないと考える一人です。

ロックダウンなどの政策によって人の動きを制限してもその効果があるということの証明は過去においてどこの国でもなされていません。

フィンランドでは政府が国会に提出していたロックダウン法案に対してロックダウン自体の効果に疑いがあることもひとつの理由として違憲判決が出て破棄されました。

緊急事態宣言で一瞬、少しだけ感染のスピードはゆるむ可能性はあります(その時の気候や季節などにも影響されるはず)。

まったく関係なく増えることもあるでしょう、ロックダウンと感染者数が減ることの比例関係が証明されていないのです。

緊急事態宣言やロックダウンをしても最終的なトータルの感染者数を減らすことにはつながらず、だらだらと感染者が出るという状態が続くだけのことです。

そもそも日本の場合、緊急事態宣言をだすほどの状況ではないと私は認識しています。

その理由は他国との死者数の比較のグラフやネットなどに出ている記事をつぶさに見ていけば誰でもわかります。

nanario125 さんによるPhotoAC からの画像

日本人の死者数は欧米の1/20〜1/25

このグラフを掲載するのも初めてではありませんが直近のデータを掲載しておきます。

新型コロナの人口100万人あたり死者数推移
Our World in Dataより

グラフの下の方を地を這うミミズのように推移しているのが日本の死者数の推移です。

2021年4/20時点で100万人あたり死者数、日本は76.55人

United Kiogdom(イギリス)は1878.99人なので日本の約25倍

Brazil 1778.34人 日本の約23倍

United States (アメリカ)1717.42人 日本の約22倍

となっています。

最近ではブラジルで1日あたり3000人が亡くなっているとのことで、これは大変な事態だとわかります。

欧米でも確かに怖いウィルスと言われるのはわかります。

欧米では5百何十人かに1人亡くなっている計算ですが日本では13000人に1人です。

これは多いと言えるのでしょうか。

しかもこの人数は昨年2月からの累計で、日本の場合亡くなった後にPCR検査をして陽性であればカウントされるので大げさな話、交通事故死でも陽性反応が出ればコロナで亡くなったとカウントされている、そんな数字です。

札幌市のデータでは亡くなっているかたの4割が寝たきりの高齢者という話もあります。コロナ死亡患者の4割が「元々寝たきり」の波紋 東洋経済

日本の場合はコロナ死と判定されていても実際は寿命で亡くなられたと言ってもよいのではないかという事例が多く含まれている可能性が高いです。

日本では子供は1人も死んでいない

これも以前から書いていることで、いろいろな人がいろいろな場所で同じことを言っていますが私も記録を残す意味を含めてまたここに書きます。

2021年4月21日の時点で日本では0歳から19歳までの子供は1人も亡くなっていません。

東洋経済OnLineより

20代でも死亡者は3人です。

高齢者についてもみてみますが、80代において陽性者のうち亡くなったのは14%です。

また、78%は回復済みというデータなので高齢者にとっても必ず死んでしまう恐怖の病ということではありません。

いま私には1歳の子供がいるのですがこの時期の子供は年に4〜5回風邪をひいて熱を出したりします。

うちの子も1月に39℃台の高熱が数日続いたため原因が何かを知っておきたいこともあり病院に行きました。

正直、コロナと診断された場合に濃厚接触者となるため仕事を休まなければならなくなるなどの対応が頭をよぎって病院に連れて行くこと自体に躊躇がありました。

さすがに高熱がこのまま何日も続いて何の手も打たないのでは子供にとってよくないので行くことに決めたという、このような葛藤がありました。

今現在小さい子供を持つ親はみんな同じことで頭を悩ませているはずです。

そして病院に行って先生に診てもらった結果、おそらく突発性発疹による発熱だろうとのこと。

そしてPCR検査ももれなく受けましたが陰性でした。

つい先日4月の初旬にも熱が出ていたので土曜日でしたが近くの開いている小児科に子供を連れて行って診てもらいました。

今回は熱がそこまで高熱ではなく下がってきている傾向もあったため、とくに何か病名を言い渡されることもなく薬をいくつか処方してもらって帰りました。

今回はPCR検査についてする、しないは親の判断でよいです、とのことだったので今回はしませんでした。

子供については、とくにコロナ感染の対策は手洗いうがい、必要に応じてマスクをする、これ以外は必要ないと思っています。

普通に学校で学んで普通に遊べばよいです、本来はマスクも不要です。

体調が悪くて咳がでる場合などは必要に応じてマスクをすればよいだけで強制する必要性を感じません。

マスクの影響で他人の表情が読めないため不安や猜疑心の強すぎる人間になってしまわないか心配しています、心配しすぎでしょうか。

日本では超過死亡者数が減っている、今起きてることはパンデミックと言えるのか?

インフルエンザなどの感染症や自然災害などの影響で増加した分の死亡者数を超過死亡者数という数値で統計として国がまとめています。

この数値ですが新型コロナが流行しはじめた2020年は11年ぶりに減少したそうです。コロナ「医療逼迫」に「国民が我慢せよ」は筋違い 東洋経済

この話を聞いた時にはズッこけました、ちょっとした怒りも同時に覚えましたが。

超過死亡が減少した主因はおそらく、インフルエンザの流行が止んだからだと思われます。

ウイルス干渉によってコロナが流行してインフルエンザが淘汰された。

そしてインフルエンザよりコロナの毒性の方が弱いので死亡者は減った、このようなストーリーが予想されます。

超過死亡が減少しているいま、日本で起きていることはパンデミックと言えるのでしょうか?

インフルエンザは1月になると毎年1週間で200万人の感染者が出ていた

インフルエンザが流行していた時の詳細は私も忘れてしまっていますが、過去の情報をネットで調べてみると1月の流行期の感染者数は新型コロナの比ではありません。

2016年のANNNEWSの画像

上の画像は2016年のものですが1週間で推計200万人の感染者でした。

2017年から2019年にかけても毎年、1月の流行期には1週間で推計200万人の感染者が出ているとの報道がされていました。

1日あたり28.5万人程度の感染者が出ていたことになりますが、この時はクラスター発生した場合は学級閉鎖などで対応して緊急事態宣言などという人の流れを広範囲でいっさい止めようとするような話は出ていません。

医療崩壊が叫ばれることもなかったです。

これは現在新型コロナは2類扱いにしているため対応可能な医療施設では逼迫の状態があると思いますがクリニックなどでは受診する患者は減っています。

新型コロナは1月のピークで陽性者が多くて7000人、多くみても1週間で5万人、インフルエンザの比較になりません。

インフルエンザはクリニックでも対応可能だったので医療崩壊する心配もなかったのです。

インフルエンザのときはPCR検査などしていませんから200万人というのは症状があって来院した人の数です。

この時にインフルエンザで亡くなった方の数を今の新型コロナの死者と同じ考え方でカウントしていたら何十倍かの数になっていたはずです。

感染症の毒性と広がり方の関係

感染症の毒性の強さと感染の広がり方については毒性が弱ければ多くの人に感染して広い範囲に伝播していくことができます。

逆に毒性が強い場合、感染者がすぐに死亡してしまうとウイルスはそれ以上増殖できなくなり他者への感染力もなくなるため感染の範囲は狭くなり局所的な流行となる傾向があります。

例えば、強毒性で感染力と感染のスピードが早いウイルスが出てきた場合はロックダウンは有効かもしれません。

しかし毒性が弱く、感染の仕方も緩やかな場合にはロックダウンや緊急事態宣言は意味があるのでしょうか。

すでに広範囲にウイルスが広がって感染者が多数存在している状態で人の流れを止めても、止めた範囲内にも範囲外にもウイルスの保持者が存在するため感染が止まるはずがありません。

弱毒であればある程度は許容しなければならない、つまり共生してかなければならないということです。

新型コロナ騒動をさらに考察〜4〜自由と文化を奪われるな

新型コロナの話題で4回連続となると、もうこのブログは何がメインテーマなのかわからないくらい霞んでしまいましたが今週も書こうと思います。

今回は自由や文化についてです。

新型コロナ騒動に自由を奪われてしまっています、そして文化的な活動も萎縮しています。

コンサートや観劇などが制限されているこの状況はまったく面白くありません。

mohamed_hassan によるpixabay よりの画像

縛りたがる人達

感染症法改正で入院を拒否したら50万円以下の過料を、濃厚接触者の調査を拒否したら30万円以下の過料を支払わなくてはならないということになりました。

何が問題かというと、陽性でも無症状で普通に生活できる人達の行動までも縛られてしまうことです。

新型コロナに関しては毒性の弱さから、無症状者の行動まで縛る必要はないと私は考えています。

インフルエンザの時はこのような決まりはなくとも毎年、手洗いうがい必要に応じてマスク着用などの対策で1月末から2月頭の感染のピークが過ぎれば集団免疫ができて自然に収束していました。

なぜ、インフルエンザよりも弱毒の新型コロナに対してこのような法律が必要なのでしょうか、理解に苦しみます。

一度できてしまった法律は悪法であってもその撤廃をするのは簡単ではありません。

また、日本の場合は法律で決まりを作らなくとも「要請」だけすればかなりの強制力を発揮してしまうのも問題です。

小池百合子都知事が出した御触れ?でしょうか、20代と30代の若者に対して、昼も夜も外出は控えてください、飲み会はナシ、家で友人との飲食もナシ、職場の送迎会や仕事の打ち上げもナシ、スポーツ観戦や映画などイベント後の会食・飲食もナシ、カラオケ・ゲームセンターも控えて とのこと。

なんの科学的根拠と権限があってここまで人の行動を縛ることができるのでしょうか。

2月の初旬の都知事記者会見で出された要請
学級会で決めたことなのか?ギャグなのか?小池百合子のパフォーマンスに付き合わされる若者の気持ちは無視でしょうか

これをすることが科学的に感染者の減少に本当につながるという証拠はあるのでしょうか。

なぜ20代と30代のみを対象にこの要請が出たのでしょうか、警戒すべきはむしろ60代以上の方ではないのか、高齢者の方にはなぜ外出のナシナシ要請は出さないのでしょうか、これは若者差別ではないでしょうか。

このような要請を出した場合にカラオケやゲームセンターの営業妨害になると思われるが、それは問題ないのか。

そもそも、これほど弱毒の新型コロナに対してこの要請は不要です。

たちが悪いのは、これが法律ではなく要請であることです。

要請というのは法律ではないので強制性がない、つまりこの要請に従った場合は各個人の判断で従ったとみなされます。

個人の判断で勝手に従ったことなのでこの御触れによって被った実害があったとしても東京都はなにか補償する必要もないということになります。

これがまかり通っていること自体が大問題ですが、このような指摘をする人が少数派というのもまた問題です。

このような要請は憲法13条の「個人の尊重・生命・自由・幸福追及の権利の尊重」などに反する可能性があります。

憲法は権力者の暴走から国民を守るために存在していますので、よく憲法を確認して人権が侵されているレベルであれば国や都を訴えることも可能なのです。

文化を破壊するコロナ脳

ロックミュージシャンというのは反骨精神の象徴だと思っていましたがステイホームを訴えるミュージシャンが出てきたときはズッコケました。

4月頃にネットかなにかで見た記事の記憶なのでこれだけ長い期間まともにコンサートやライブが開催できない状態が続いている現在、そのミュージシャンが何を思うかはわかりませんが、最近はステイホームを叫ぶ芸能人は明らかに減りました。

まあ、マスクもつけずにドラマ撮影してステイホーム叫んでるわりには芸能活動というのがリモートワークでは成立しない仕事だからガンガン外に出ている、そういった現実のためにステイホームがトレンドから外れていったのでしょうね。

所詮はステイホームすらトレンドで言っていた言葉に過ぎないのです。

しかし、その破壊力は恐ろしいほどです。

昨年春に中止になったライブが今年の春、また中止になっています。

ネットでライブの配信をしてなんとか食いつなげるのは一部の大物ミュージシャンなどだけでエンターテイメント業界全体が大きな影響を受けています。

経済が庶民の生活の源であるとすれば、文化は庶民の心の豊かさを育むものであり、両方とも人が生きていく上で重要なものなのですが、新型コロナという弱毒のウイルスのためにこれだけの犠牲をはらう必要性があるのか考える必要があります。

新型コロナ恐いと言うマスコミをはじめとするコロナ脳の方たちは、自分たちが文化を破壊しているという自覚がないのだと思います。

また、文化が失われても知ったことではなく、とにかく自分が新型コロナにならないことを願う人達、それがコロナ脳の人たちの本質です。

なんでインフルエンザの時は騒がなかったのでしょうか?

「新型コロナだから恐い」と騒ぐこと自体がおかしな話だと気づかない、それがコロナ脳なのでしょう。

自由はいとも簡単に奪われていく

自由は権力などによって簡単に奪われていくものです。

わかりやすい例をあげるとすれば中国の香港民主派の活動家に対する姿勢です。

アグネス・チョウさんが有罪とされて収監されるというニュースを聞いた時にやはり中国という国に自由はないと再認識しました

これは特定の活動家に対してではないか、という反論があるかもしれませんが中国はチベットの先住民の虐殺という侵略的行為をこの時代にやってのける国であること、天安門事件の事実隠蔽をする情報操作をやってのけてしまう国であることから人権に対する配慮自体がそもそも欠如していると考えられます。

当然、そこに暮らす国民に真の自由はあるはずがありません。

日本の話に戻って、感染を防止するという名目でできた50万円や30万円の過料を課す法律もまた、公的権力が国民の自由を制限するものです。

感染を防止するためだから仕方ないのでしょうか?

これを仕方ないと思うのは思考停止していることを意味します。

なぜなら、新型コロナは弱毒ですからここまでの法律が本当に必要かどうかが精査されないままに国民の権利を狭める法律が成立してしまったことには問題があるからです。

ワクチン接種する、しないの自由

日本でのワクチン接種もそろそろ始まるようです。

ワクチン接種のする、しないの選択は個人の自由です。

ワクチンの接種については医療従事者であってもそれを強制することはできないし、接種しない人を差別するようなことがあってはいけません。

理由はいくつかあります。

まず、今回のワクチンは短期間で作られたもので通常の試験期間を短縮して実用化しているのでいわば、これから人体実験が始まると言っても過言ではない状態であることが1つ目の理由です。

もう一点は、これは日本などの新型コロナの感染者や死者数が少ない国で言えることですが、そもそもワクチンを接種するほどの事態でもなく、毒性の弱さから考えると通常の感染して免疫を獲得していくという考えで十分対応できるであろうと考えられるため、です。

ちなみに私は接種する気はありません、歯医者に行くのがめんどくさいというレベルの感覚で行きません。

それで新型コロナにかかったとしてもまったく後悔などしません。

その時は、ああ、罹ってしまったなと思うだけです。

そんなことより、弱毒の新型コロナにビビって自由と文化を奪われているような今の状況は本来あってはならない事態です。

1日も早く、通常に戻ることを願いつつ新型コロナのことを1ヶ月にわたっていろいろ書いてみました。

いろいろな本を読んだりネットでも調べて組み立ててみてはいるのですが、読む人によっては素人が何を言っているんだと一蹴されてしまうかもしれませんね。

たぶん、このテーマでまた書くことはあると思います、収束したとしても検証すべきことは残っていると思われるので。

本の紹介

以前のブログで読書感想文を書きました。カミュ ペストは読後感が爽やかでした この日本の新型コロナのゆるい状況と比較にならない状況が描写されています。

憲法の本質は国家権力を縛ることにあることが書かれています。巻末に憲法の条文が掲載されているので使い勝手がよいです。

カミュ「ペスト」日常を愛せない人 コタール

カミュ「ペスト」の登場人物の中に異常な人がいます。ペストが流行している最中は気持ちが安定していたが、流行が終わりそうになるとまだペストの禍いが続くことを祈るかのような発言をします。いつの時代、どこにも、世の中の不幸を喜ぶ人間は存在するようです。

ペスト流行なのに気分上々

「ペスト」に登場するコタールという人物は、はっきりどのような罪を犯したか書かれていないのですが、おそらく、殺人に手を染めています。逃亡している身として描かれますが彼はペストが流行する前に自殺未遂騒ぎを起こします。幸か不幸か知人のグランに発見されてして一命を取り止めます。

オランでペストが流行し始めて人々が混乱する中でなぜかコタールは気分が次第に上がっていきます。彼はペストが流行したことを明らかに喜んでいます。コタールについての描写を読むと彼がなぜこの状況を喜ぶのかわかります。

「コタールのように全ての人々が、ひょっとすると密告者であるかもしれぬと思いながら暮らしてきた人間には、ペストが今日か明日にも彼らの肩に手をかけるかもしれず、ひょっとすると、こっちがまだ無事息災であることを喜んでいる瞬間に、そうしかけているかもしれない、という考えのなかで生活している人々に対しては、こっちも結構仲間同士のような気持ちでいられる。」

要するに自分が置かれた悲しい状況にみんなも陥っている。周りの人がみんな悲しい状況になって自分と同じになった、この状況ずっと続いてほしいな、これがコタールの本音ということです。

現代にもいる世の中の不幸を喜ぶ人

あまりにも考えていることがバカバカしくて呆れますが、わかる気もする心理ではあります。自分自身がうまくいっていないときに幸せそうな人達を見ると羨ましく思うのと似ていると言えば似ています。

このコタールの描写を読んでいるときに私が思ったのは、メディアで新型コロナの恐怖を煽ってきた人達のことです。2週間後には日本もイタリアやニューヨークになりますとか、死者数が急増して医療崩壊するなど予想して外した専門家やコメンテーターはこの騒ぎを煽って楽しんでいるのではないかと。視聴率さえとれれば報道する内容はなんでもいいということなのかわかりませんが、実際、死者が指数関数的に増加したらこの予想をした人は自分の予想に近づいたと内心は喜ぶはずです、表面上は死者が増えたことを悲しむように取り繕いながら。

現実の日本の方がたちが悪いのは、存在しない脅威をメディアが煽り、影響された視聴者が過剰反応し、さらには目立ちたい都知事や県知事などの指導者までがこのブームにのって自粛を呼びかけて経済にブレーキをかけ続けていることです。

騒ぎを大きくしておきたい人達の心の中に何が潜んでいるのかは、わかりません。コタールのように過去に殺人を犯したうしろめたさをかかえているわけではないと思いますが、何がそうさせるのか、本人も気付かないコンプレックスがそうさせているのかもしれません。

カミュ「ペスト」痛烈なキリスト教批判

「ペスト」を読んでいるときに全体を通じて感じるのはキリスト教に対する批判的な思想です。私はキリスト教徒ではないのですが、そこまで言うか、と思えるくらいのセリフも見られます。

パヌルー神父のありがたい?説教

14世紀にペストが大流行した時にキリスト教会への不信が広がりマルティン・ルターの宗教改革につながっていきました。ペストの猛烈な禍いの前にキリスト教という信仰はなすすべもなく、生き残った信者の心を救うことも困難だったということかもしれません。

カミュの「ペスト」でもキリスト教の無力が描写されます、これでもか、というほどに。パヌルー神父はかなり影響力のある神父さんとして登場します。その説教の様子は迫力があり聞きにきている人も雰囲気に飲み込まれていきます。しかし、その内容は懸命に生きたいと考える人間にとっては受け入れ難い内容でもあります。このペストは天から与えられた罰だと説教します、そして運命を受け入れなさいと。

一方で信者たちの中に私達は敬虔なキリスト教徒だからペストなんかにかかるわけがないと本気で言っている人がいます。側から見ればそれらはすべて思い込みでしかないのですが、私達は罰なんか受けるはずがないと、彼らはそう考えているということです。ある意味幸せな人達ですが、人として思想するということは放棄している状態と言えます。

感染症によっては子供はかかりにくいものもあり致死率も年齢別で違いがあったり、いろいろですがペストは大人も子供も関係なく襲いかかる最もたちの悪い感染症のひとつです。この小説中にペストに襲われて死んでしまう子供の様子が鮮烈に描写されます。血清に最後の望みを託して主人公の医師タルーが子供に注射をします。効果は亡くなるまでの時間が少し伸びたくらいのもので、子供が苦しむ様子はかわいそうになります。この描写は読み進むのが辛いとすら感じます、特にまだ小さい子を持つ親としては胸をえぐられるような感覚になります。

たじたじのパヌルー神父、医師リウーは神を信じない

この亡くなった子供に何か罪があったのか、いや何の罪もないでしょう。主人公の医師であるリウーはパヌルー神父に怒ったように言います「まったく、あの子だけは、少なくとも罪のない者でした。あなたもそれはご存じのはずです!」

パヌルーは言います「どうしてあんなに怒ったような言い方をなさったのです。私だってあの光景は見るにしのびなかったのですよ」

「どうも済みませんでした。もう一度おわびします」「あんな癇癪はもう二度とおこしません」リウーは言いました。

まあ、確かにパヌルー神父にそんなに怒っても意味はないので、かなりリウーも取り乱していたということですが、このやり取りかなりシリアスな場面なのにちょっと笑ってしまいました。でもリウーは最後に強烈なセリフを放ちます。

「僕が憎んでいるのは死と不幸です。それはわかっているはずです。そうして、あなたが望まれようと望まれまいと、われわれは一緒になって、それを忍び、それと戦っているんです」

リウーは神は信じていないこと、死を罪として受け入れることは一切拒否して戦う意思を明確に示しています。強烈なキリスト教へのアンチテーゼを示します。カミュはこの小説のひとつの大きなテーマとしてキリスト教批判を掲げていたはずです。でなければここまでのセリフを主人公に言わせないでしょう。なんか、カッコいいなと思ってしまうのは私だけでしょうか。

一方でそこまで神父さんの前で言わんでもいいやんけ、と思う自分もいます。もうちょっとやんわりと言うとかできないものかと。まあ、こういう主張ができるのは、それだけフランス人達は個が強く日本人とは違うメンタルを持っているということかもしれません。

カミュの「ペスト」は読後感がさわやかでした

純文学というものをあまり読むことがなく、作家が繰り出す独特の言い回しなど理解しながら読むのがなかなか難しく感じたりもしますが、カミュのペストは読後感がさわやかでした。

都市封鎖の中で戦う人々

1940年代のフランス領アルジェリアのオランという都市が舞台です。読み始めたときは実話を元にしているかと思いましたがこの話は全編フィクションです。

ペストに襲われたオラン市は封鎖されます。家族や恋人との突然の別離を宣告され、日々死者が増加する中、希望を見失ってしまい自暴自棄になってもおかしくない状況の中で戦う人々の姿には凛々しさを感じます。

印象に強く残ったのは新聞記者ランベールの変化です。市が閉鎖された当初はどうやってオラン市から抜け出すかだけを考えている人物でした。彼はもとも市の外に住んでいて恋人と別離状態になってしまったため、なんとしても帰りたいと思うのは自然なことです。

心を優先させたランベール

ランベールは市の外へ出られるよう便宜をはかってくれるという人物に何度も約束をすっぽかされて結局、市の外に出られないことを悟った時に主人公の医師であるリウー達の活動、ペストに罹ってしまった人たちの手当てを手伝うための保健隊と行動を共にすることを決意します。リウーを手伝ううちに彼の考えは変化していきます。彼の中にあった公心が明らかに大きな存在となっていく様が読み取れます。もし彼と同じ境遇になった時に彼と同じセリフが言えるかどうか…。

「もし自分が発って行ったらきっと恥ずかしい気がすることだろう。そんな気持ちがあっては向こうに残してきた彼女を愛するのに邪魔になるのに違いないのだ」

「自分一人が幸福になることは、恥ずべきことかもしれないんです。」

「僕はこれまでずっとこの町(オラン)には無縁の人間だ、自分には、あなたがたはなんのかかわりもないと、そう思っていました。ところが、現に見たとおりのものを見てしまった今では、もう確かに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件はわれわれみんなに関係のあることです。」

キン肉マンで悪魔超人が正義超人に鞍替えした時に、無性に嬉しくなるあの感じを思い出してしまいました。バッファローマンが正義超人に??のような。

その他にも、この人たちカッコいいなと思える人物、これはイカんなと思える人物、いろいろな個性を持つ人たちが登場する群像劇となっています。

次回ももう少し「ペスト」について語らせてください。