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「鬼滅の刃」は面白かった〜「マスクの呼吸」でくもるメガネ〜

いま大人気の「鬼滅の刃」の映画を先週、娘と一緒に観てしまいました。私も娘もほぼ予備知識ゼロ。娘は学校でも話題になっている映画を観れるのではしゃいでいました。

期待していませんでしたが観てみたらかなり面白かったです。

KOU2301 さんによるphotoAC よりの画像

予備知識がなくても楽しめる

予備知識が全くないと楽しめないというネットの何かの記事を読んでいたので先に漫画の単行本で予習しようかなと思いましたが、そこまで興味のないマンガ本を買ってつまらなかったら映画を観る前に気持ちが萎える可能性もあるのでやめておきました。

でも、それは杞憂に終わりました。

かなり面白かったです、泣けるシーンもありました、煉獄さんが力尽きるシーン。

あれは泣かせるように作ってます。

そして、まんまと涙をちょちょぎらせてしまったところを不覚にも娘に見られてしまったという…なんか子供ってそういうとこをちゃんと見ていますよね。

予備知識があれば確かにもっと楽しめたかもしれません、細かいことをいうと所々で頭の中に「?」マーク出てました。

これから観に行く方で鬼滅の刃の漫画を読んだことがない方は、劇場版鬼滅の刃無限列車編公式サイトで登場人物の名前やあらすじを確認しておくと少し話がわかりやすくなると思います。

少年ジャンプで育った世代はかなりハマる要素あ

私は小学生から中学生のときにかけて黄金期の少年ジャンプを読んでいた世代にあたります。

ドゴラゴンボールは初回から読んでいました、キン肉マン、北斗の拳、キャプテン翼、聖闘士星矢、ジョジョの奇妙な冒険、シティハンター、魁男塾、ハイスクール奇面組、少年ジャンプに掲載されるすべての連載が見逃せませんでした。

鬼滅の刃で登場人物が繰り出す「水の呼吸」や「火の呼吸」により繰り出す必殺技はカッコいいです、単純に。

それとアニメの表現の進化もすごいです、必殺技を出す時の迫力あるシーンは見ごたえがありました。

ジョジョの奇妙な冒険で波紋法という技があって、あれもたしか呼吸の仕方で波紋というか波動みたいなものを繰り出して敵を倒していました。

ジョジョは大好きでそれこそどハマりしていたのでそれを思い出しました。

いつの時代もヒーローは自分の命をかえりみずに敵に立ち向かっていく勇気を持っている者です。

右の人が煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)さんです、ものすごいカッコイイです

このコロナ騒動の最中にこの映画が受け入れられる理由はそういうヒーローを期待する気持ちの現れでしょうか。

巷にはコロナを無駄に怖がる臆病者といたずらに恐怖を煽るマスコミをはじめとする卑怯者が溢れかえっていますから。

「マスクの呼吸」

過去のブログを読むとわかると思いますが私は新型コロナ騒動については冷めた目で見ていて、正直、アホらし過ぎて付き合いきれないというのが本音の人です。

なのですが公共の場ではマスクはしています。

していないと入れない施設もありますし、その場のルールであれば従うスタンスなので飛行機が飛ばないとわかっていてそれでもマスク拒否するほどのポリシーはありません。

でもあの飛行機マスク拒否乗客の方は問題提起をしたという意味で、私はありだと思っています。

最近また飲食店がどこかにマスクなしで入店してもめたとかなにか話がありましたが悪ノリでやっているのであれば、それは良くないですが。

映画館もマスクをしていないとダメな雰囲気は漂っているのでしていきましたよ。

そして40代になってから目が悪くてなってしまって映画を観るときはメガネをしています。

マスクとメガネ、この組み合わせで何が起こるかというと…

メガネがくもります。

「マスクの呼吸」はかなりマスクから漏れています。

くもってしまってせっかくの「鬼滅の刃」が見えないのでは意味がありません。

そこで私はどうしたか?

マスクをアゴまで下げました。

今はマスクを外している人は不良扱いです。

アゴにかけているだけでもかなりワルに見えたのではないかと思います。

しかし私は映画を快適に観ることのできる自由を得ることができました。

新型コロナに自由や文化を奪われてはいけません。

子供が「鬼滅の刃」を観たいと言ったら

いま感染者が増えているとのことですが感染者数が増えるのは当たり前です。

以前よりPCR検査数自体が増えていることが理由として一点あります。

あとは、寒くなって空気が乾燥してくると鼻や喉の粘膜も乾燥しやすくなり体内に異物が侵入しやすくなるからです。

冬になると風邪をひきやすくなるから気をつけましょう、という毎年言っていることです。

再び自粛の話も出ていて、いろいろなところに行くことを制限される雰囲気もありますが基本的人権の中で行ったり来たりする自由は確保されています。

本来、法的な拘束力のない要請レベルの話で行動を制限される筋合いすらないと私は考えていますが

日本では村社会的な同調圧力で抑えてくるという独特の雰囲気が出来あがっています。

でも子供が「鬼滅の刃」を観たいと言っていたら、周囲の騒ぎは気にせずに是非、映画館に連れて行ってあげてほしいです。

この映画、面白いですから子供もきっといい思い出になると思います。

それに新型コロナは子供には優しいウィルスです。

東洋経済オンラインより  
11/25時点の陽性者数の資料でグラフをタップすると重症者と死者数もなどの数値も表示されます。
10歳未満は死者数、重症者数ともに0名
10代では死者数0名、重症者数1名です。

公表されている資料をつぶさに確認していけばそれだけで新型コロナの正体は見えてきます。

11/25時点で10歳未満は死者数、重症者数ともに0名 10代では死者数0名、重症者数1名です。

「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」とはよく言ったものです。

子供達は普段と同じように勉強して遊んでのびのびと暮らしていて問題ないというのが私の考えです。

最近の私の口癖は「新型コロナは子供より弱い」です、よく娘に言っています。

この状態が続く限りはまだまだ飲食店などの倒産やそれに連動した自殺者数は増え続けそうです。

自殺者数が増えているという事実にはちょっと心を痛めています、というかものすごい怒りすら感じています。

コロナを必要以上に恐れる臆病者と恐怖を無駄に煽るマスコミを中心とした卑怯者達に対してこのブログはあまりにも無力ですが

それでもここにこうして書き留めておきます、数年後にいま言っていたことを検証できるように。

数は少なくてもよいので共感してくれる方がいることを願って一旦、筆を置きます。

カミュ「ペスト」日常を愛せない人 コタール

カミュ「ペスト」の登場人物の中に異常な人がいます。ペストが流行している最中は気持ちが安定していたが、流行が終わりそうになるとまだペストの禍いが続くことを祈るかのような発言をします。いつの時代、どこにも、世の中の不幸を喜ぶ人間は存在するようです。

ペスト流行なのに気分上々

「ペスト」に登場するコタールという人物は、はっきりどのような罪を犯したか書かれていないのですが、おそらく、殺人に手を染めています。逃亡している身として描かれますが彼はペストが流行する前に自殺未遂騒ぎを起こします。幸か不幸か知人のグランに発見されてして一命を取り止めます。

オランでペストが流行し始めて人々が混乱する中でなぜかコタールは気分が次第に上がっていきます。彼はペストが流行したことを明らかに喜んでいます。コタールについての描写を読むと彼がなぜこの状況を喜ぶのかわかります。

「コタールのように全ての人々が、ひょっとすると密告者であるかもしれぬと思いながら暮らしてきた人間には、ペストが今日か明日にも彼らの肩に手をかけるかもしれず、ひょっとすると、こっちがまだ無事息災であることを喜んでいる瞬間に、そうしかけているかもしれない、という考えのなかで生活している人々に対しては、こっちも結構仲間同士のような気持ちでいられる。」

要するに自分が置かれた悲しい状況にみんなも陥っている。周りの人がみんな悲しい状況になって自分と同じになった、この状況ずっと続いてほしいな、これがコタールの本音ということです。

現代にもいる世の中の不幸を喜ぶ人

あまりにも考えていることがバカバカしくて呆れますが、わかる気もする心理ではあります。自分自身がうまくいっていないときに幸せそうな人達を見ると羨ましく思うのと似ていると言えば似ています。

このコタールの描写を読んでいるときに私が思ったのは、メディアで新型コロナの恐怖を煽ってきた人達のことです。2週間後には日本もイタリアやニューヨークになりますとか、死者数が急増して医療崩壊するなど予想して外した専門家やコメンテーターはこの騒ぎを煽って楽しんでいるのではないかと。視聴率さえとれれば報道する内容はなんでもいいということなのかわかりませんが、実際、死者が指数関数的に増加したらこの予想をした人は自分の予想に近づいたと内心は喜ぶはずです、表面上は死者が増えたことを悲しむように取り繕いながら。

現実の日本の方がたちが悪いのは、存在しない脅威をメディアが煽り、影響された視聴者が過剰反応し、さらには目立ちたい都知事や県知事などの指導者までがこのブームにのって自粛を呼びかけて経済にブレーキをかけ続けていることです。

騒ぎを大きくしておきたい人達の心の中に何が潜んでいるのかは、わかりません。コタールのように過去に殺人を犯したうしろめたさをかかえているわけではないと思いますが、何がそうさせるのか、本人も気付かないコンプレックスがそうさせているのかもしれません。

カミュ「ペスト」痛烈なキリスト教批判

「ペスト」を読んでいるときに全体を通じて感じるのはキリスト教に対する批判的な思想です。私はキリスト教徒ではないのですが、そこまで言うか、と思えるくらいのセリフも見られます。

パヌルー神父のありがたい?説教

14世紀にペストが大流行した時にキリスト教会への不信が広がりマルティン・ルターの宗教改革につながっていきました。ペストの猛烈な禍いの前にキリスト教という信仰はなすすべもなく、生き残った信者の心を救うことも困難だったということかもしれません。

カミュの「ペスト」でもキリスト教の無力が描写されます、これでもか、というほどに。パヌルー神父はかなり影響力のある神父さんとして登場します。その説教の様子は迫力があり聞きにきている人も雰囲気に飲み込まれていきます。しかし、その内容は懸命に生きたいと考える人間にとっては受け入れ難い内容でもあります。このペストは天から与えられた罰だと説教します、そして運命を受け入れなさいと。

一方で信者たちの中に私達は敬虔なキリスト教徒だからペストなんかにかかるわけがないと本気で言っている人がいます。側から見ればそれらはすべて思い込みでしかないのですが、私達は罰なんか受けるはずがないと、彼らはそう考えているということです。ある意味幸せな人達ですが、人として思想するということは放棄している状態と言えます。

感染症によっては子供はかかりにくいものもあり致死率も年齢別で違いがあったり、いろいろですがペストは大人も子供も関係なく襲いかかる最もたちの悪い感染症のひとつです。この小説中にペストに襲われて死んでしまう子供の様子が鮮烈に描写されます。血清に最後の望みを託して主人公の医師タルーが子供に注射をします。効果は亡くなるまでの時間が少し伸びたくらいのもので、子供が苦しむ様子はかわいそうになります。この描写は読み進むのが辛いとすら感じます、特にまだ小さい子を持つ親としては胸をえぐられるような感覚になります。

たじたじのパヌルー神父、医師リウーは神を信じない

この亡くなった子供に何か罪があったのか、いや何の罪もないでしょう。主人公の医師であるリウーはパヌルー神父に怒ったように言います「まったく、あの子だけは、少なくとも罪のない者でした。あなたもそれはご存じのはずです!」

パヌルーは言います「どうしてあんなに怒ったような言い方をなさったのです。私だってあの光景は見るにしのびなかったのですよ」

「どうも済みませんでした。もう一度おわびします」「あんな癇癪はもう二度とおこしません」リウーは言いました。

まあ、確かにパヌルー神父にそんなに怒っても意味はないので、かなりリウーも取り乱していたということですが、このやり取りかなりシリアスな場面なのにちょっと笑ってしまいました。でもリウーは最後に強烈なセリフを放ちます。

「僕が憎んでいるのは死と不幸です。それはわかっているはずです。そうして、あなたが望まれようと望まれまいと、われわれは一緒になって、それを忍び、それと戦っているんです」

リウーは神は信じていないこと、死を罪として受け入れることは一切拒否して戦う意思を明確に示しています。強烈なキリスト教へのアンチテーゼを示します。カミュはこの小説のひとつの大きなテーマとしてキリスト教批判を掲げていたはずです。でなければここまでのセリフを主人公に言わせないでしょう。なんか、カッコいいなと思ってしまうのは私だけでしょうか。

一方でそこまで神父さんの前で言わんでもいいやんけ、と思う自分もいます。もうちょっとやんわりと言うとかできないものかと。まあ、こういう主張ができるのは、それだけフランス人達は個が強く日本人とは違うメンタルを持っているということかもしれません。

カミュの「ペスト」は読後感がさわやかでした

純文学というものをあまり読むことがなく、作家が繰り出す独特の言い回しなど理解しながら読むのがなかなか難しく感じたりもしますが、カミュのペストは読後感がさわやかでした。

都市封鎖の中で戦う人々

1940年代のフランス領アルジェリアのオランという都市が舞台です。読み始めたときは実話を元にしているかと思いましたがこの話は全編フィクションです。

ペストに襲われたオラン市は封鎖されます。家族や恋人との突然の別離を宣告され、日々死者が増加する中、希望を見失ってしまい自暴自棄になってもおかしくない状況の中で戦う人々の姿には凛々しさを感じます。

印象に強く残ったのは新聞記者ランベールの変化です。市が閉鎖された当初はどうやってオラン市から抜け出すかだけを考えている人物でした。彼はもとも市の外に住んでいて恋人と別離状態になってしまったため、なんとしても帰りたいと思うのは自然なことです。

心を優先させたランベール

ランベールは市の外へ出られるよう便宜をはかってくれるという人物に何度も約束をすっぽかされて結局、市の外に出られないことを悟った時に主人公の医師であるリウー達の活動、ペストに罹ってしまった人たちの手当てを手伝うための保健隊と行動を共にすることを決意します。リウーを手伝ううちに彼の考えは変化していきます。彼の中にあった公心が明らかに大きな存在となっていく様が読み取れます。もし彼と同じ境遇になった時に彼と同じセリフが言えるかどうか…。

「もし自分が発って行ったらきっと恥ずかしい気がすることだろう。そんな気持ちがあっては向こうに残してきた彼女を愛するのに邪魔になるのに違いないのだ」

「自分一人が幸福になることは、恥ずべきことかもしれないんです。」

「僕はこれまでずっとこの町(オラン)には無縁の人間だ、自分には、あなたがたはなんのかかわりもないと、そう思っていました。ところが、現に見たとおりのものを見てしまった今では、もう確かに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件はわれわれみんなに関係のあることです。」

キン肉マンで悪魔超人が正義超人に鞍替えした時に、無性に嬉しくなるあの感じを思い出してしまいました。バッファローマンが正義超人に??のような。

その他にも、この人たちカッコいいなと思える人物、これはイカんなと思える人物、いろいろな個性を持つ人たちが登場する群像劇となっています。

次回ももう少し「ペスト」について語らせてください。

ポカホンタスからの大陸開拓のリアルについて

前回ポカホンタスを観た感想を書き始めたらアメリカ大陸の発見以降、西洋人がどのようにその勢力を世界中に拡大していったのかという話に脱線しました。そのまま話が長くなってしまったので一旦中断、今回はその続きです、もうしばらくお付き合いください。

ポカホンタスがいたのは17世紀初頭

で、ようやくポカホンタスが登場する17世紀の初頭1610年頃の話です。場所はアメリカ大陸のヴァージニア植民地での話になりますが現実においては、ポカホンタスはイギリス人に捕われて人質として過ごしていました。そしてキリスト教へ改宗しイギリス人と結婚したそうです。この結婚は一時的にポウハタン族とイギリス人入植者との間に平和をもたらしたようで美談として現在も語られているようです。この話がポカホンタスの映画の元ネタということだと思います。この辺の話はWikipediaに書いてある話を参考にしました。

ポカホンタスはイギリスに来て夫のジョン・ロルフと共に当時の王室のジェームズ1世に謁見して1年間程度イギリスに住んでいたようです。またアメリカに帰る途中の船で病となり23歳という若さで亡くなってしまいます。天然痘、結核などと言われていますが資料により異なるようです。おそらく西洋人からの感染によるものと思われます。抗体を持たない新大陸の先住民は天然痘やチフスなど西洋人が持っていた感染症で死んでしまう確率は高かったものと思われます。

17世期の初頭はまだ入植者の数がそこまで多くなかったのか、イギリス人入植者を受け入れようと食糧を分け与えるるなどインディアン側の譲歩もあったようなのでポカホンタスのような美談(だいぶ美化されているのかもしれませんが)が生まれる素地はあったようです。

しかし、西洋人はインディアンを人質にとって食糧を要求するなどせっかくの好意を無駄にするようなこともしたようです。仁義というものがまったく通用しない仁義なき闘いですね…こういう負のエピソードは隠されてしまいがちです、全ての西洋人がそうではなかったとも思いますが。

植民地の拡大とアメリカの独立

そして、時は過ぎて18世紀。フランス人と争うようにアメリカ大陸への入植者を増やしていくイギリス人。ヴァージニアを皮切りに現地の先住民を虐殺、略奪し奴隷化していきます。カロライナではインディアン奴隷売買が一大産業となり盛んに行われるようになりました。イギリスはフランスとのアメリカ大陸における利権獲得のための植民地戦争に勝利します。世界中の植民地から得た潤沢な利益によりイギリスは技術革新を成し遂げ産業革命に至ります。

この産業革命は大量生産、大量消費の現代社会の形成の発端となりましたが、それまでよりもさらに多くの資源と製品消費地を必要とするようになります。イギリスはフランスとの植民地戦争には勝利しましたが多額の戦費が財政を圧迫します。このあおりを受けてアメリカ植民地への課税の増税が決まりましたが現地のアメリカ植民地の入植者達はこれを拒否、アメリカ独立戦争が起こります。そして1776年にアメリカは独立宣言をしました。

この頃、アフリカからの南北アメリカへの奴隷貿易が盛んに行われていました。船底にすし詰め状態で奴隷を乗せ糞尿はそのまま垂れ流しの劣悪な環境でした。疫病が流行って亡くなってしまう奴隷もいましたが亡骸は海に捨てられ、船主は積荷の保険金を保険会社に請求するだけでした。また、独立国となったアメリカ合衆国はインディアン保護のために300を超える条約や協定を結びましたが、現地の入植者達はこれをほとんどは守ることはなく民族の破壊は続きました。

19世紀、1820〜30年代に合衆国最高裁判所主席判事ジョン・マーシャルは合衆国憲法に定められた自然権を根拠にインディアンの土地権と自治の資格をある程度認める判決を出しました。しかし当時のジャクソン大統領はこの判決を拒否し、ジョン・マーシャルが判決したのだから彼に判決の執行をさせてみようではないかとうそぶきました。さらにインディアン強制移住法が制定されインディアンは人間の住めないところと言われたミシシッピーの西の保留地へ移住させられます。

こうあれば良かったという理想形

フロンティアの男達はそんな人の住めないと言われている土地でさえ金鉱が発見されるとすぐに奪い取りました。彼らはインディアンの土地を奪って西へ西へ進む、これこそ「マニュフェスト・ディスティニー」つまり天から与えられた明白な使命だと言ってこの行為を正当化しました。

大陸の開拓の歴史をざっくり書きましたが、これらの歴史をある程度知ったうえでポカホンタスを観たときに何を感じるでしょうか。インディアンがイギリス人をはじめとする西洋人に破滅の道をたどらされたことは間違いありません。

ポカホンタスの物語りでは殺されそうになる西洋人のジョン・スミスをポカホンタスが身を投げ打って守り、ポウハタン族の首長は西洋人との争いを避ける決断をしました。そして、西洋人はポウハタン族の土地から去っていきます。

しかし、現実において西洋人はヴァージニアから去っていません。ヴァージニアを起点にインディアンの土地を徹底的に奪い、民族を破壊してきましたから、この物語においてはせめて、こうあれば良かったという理想形を描いたのかもしれません。

ジョン・スミスはポカホンタスに一緒にイギリスにくるようお願いしますが、ポカホンタスはその地に残ると言います。ジョン・スミスとの恋愛よりも家族やその土地とのつながりを優先しています。

これは男女の恋愛ストーリーとしてはハッピーエンドではありませんがリアリティは感じます。ポカホンタスがイギリスに行って幸せに暮らしましたとさ、とはならないしそれをやってしまったら歴史をある程度知っていたらシラけるだけでしょう。そんな(西洋人にとって)都合の良い話ってあるの?ということです。

ポカホンタス2というのもあるようですが、まだ観ていません。ポカホンタスがイギリスに行くというストーリーのようで、これ観てしまったらせっかくの好印象が壊れそうな気がしていますがどうなのでしょうか。また観てしまったら感想書くかもしれません、そしてまた長くなるかも…。

ポカホンタスはディズニー映画の中でもシリアス度MAX

子供がテレビばかり見ています、ステイホームを無駄に満喫している様子ですが、さすがに見過ぎでしょと思いつつ子供が見ているテレビをその後ろから見てしまうという…。

リアルに描かれる登場人物達

先日、ポカホンタスを見ちゃいました。これ25年前の1995年の作品です。ディズニー映画というと登場人物はディフォルメ化されていて頭が大きくてかつ目が大きく描かれている場合が多く、そういう描き方をした方がキャラクターが可愛いく見えるし、子供たちも親近感を抱くからそうしているのだと思います、これ私のまったくの予想でしかないのですが。

 ポカホンタスに出てくる登場人物は他のディズニー映画と比較してディフォルメ化の度合いが低いと感じました。現実の人間と同様の7から8頭身程度でしょうか、頭を大きめにディフォルメはしていない様子です。目もそこまで大きくはなく成人の大人は大人として、人間そのままの形で描かれています。ディズニー映画では必ず出てくる動物たちですが、これだけはいつものディズニー映画と同じようにディフォルメされていてアライグマ?とハチドリとパグ犬?はかわいい感じになってました。やけにリアルに描かれた人間とのギャップに最初は若干の違和感を覚えましたがすぐ慣れました。

インディアンの女の子が主役で恋する相手が西洋の白人という設定の時点で何も起こらないはずがない。アメリカ大陸の美しい自然と若くて綺麗なポカホンタスが描写される一方、イギリスからの入植者が海を渡る様子も描かれます。インディアンという先住民族を殺し、制圧して現在のアメリカが成り立っているという歴史を知っているとしたら物語の序盤から不穏な空気しか感じない展開です。ディズニー映画の中でこんなに不穏な空気感を醸し出している作品は他にはないはず。インディアンと西洋人の恋愛を描くこと自体、ディズニーにとってもかなりリスクの高い仕事であったことは間違いないはずです。

 イギリス人の入植者達がポウハタン族の土地に入り込んで金の採掘を始める、実際は金などその土地では出ないのに。当然、ポウハタン族の男達はイギリス人の偵察を始める。そして、あいつらは人の土地で何をしているんだ、けしからん!となる。

 一方、イギリス人入植者の中でも好奇心旺盛で仲間思いで人望の厚いジョン・スミスは単独行動で新しい土地の自然を満喫しているところでポカホンタスと出会います。そしてお互いに惹かれあっていきます…。この物語は実話に基づいているらしいですが、この出会いのシーンはフィクションだなと思いました。ちょっとネットで調べたら、ジョン・スミスがアメリカ大陸に着いた頃ポカホンタスはまだ10歳程度だったようなので映画で描かれたようなロマンスは実際には無かったようですね。

 そして、いろいろあった後、ポカホンタスの婚約者ココアムがジョン・スミスとポカホンタスが熱くキスしているのを見てしまい発狂→ジョンスミスに襲い掛かる→それをさらに外側から見ていたジョン・スミスの友達が銃で撃つ→ココアムに弾当たる→ココアム倒れる→ココアム死んじゃう、のですがこの一連のシーンは見応えかなりあります。普通のディズニー映画だったらキスシーンは主人公が幸せを掴んだ象徴となっていることが多いですが、ポカホンタスではキスシーンからのこの一連のシリアスな展開です。ココアムが嫉妬心に駆られて木陰から飛び出して襲いかかるシーンはアニメとは思えないリアリズムを感じます。逆にアニメだからあのような象徴的なシーンに仕上げることができたのかもしれません。あれを実写で役者に演じてもらっても、あのようなシーンにはならないはず。

大陸開拓のリアル

劇中に出てくるスペイン人は黄金で大儲けをしたという話しですが、中南米に入り込んだスペイン人のコルテスとピサロの話しなのかなと思いました。西洋人によるアメリカ先住民インディオに対する侵略と言える話しです。概要を紹介しておきます。

1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、1521年にはスペイン人のコルテスによってアステカ帝国が滅ぼされました。当初はアステカ帝国の兵力が圧倒的に上回っておりスペイン軍は敗走寸前でしたがいつまでたってもアステカ軍による最後の総攻撃が始まらない。時間を稼ぐことでコルテスは体勢を立て直しアステカの首都テノチティトラン(現在のメキシコ市)へ乗り込んだときに見たものは何者かにすでに襲われ壊滅した街の様子でした。スペイン人が持ち込んだ天然痘による死者で街が埋め尽くされていたのです。こうしてあっけなくアステカ帝国は崩壊し、コルテスは膨大な財宝を略奪することに成功しました。

1533年にこちらもスペイン人ですが、ピサロによってインカ帝国が襲われました。中米、アステカ帝国から入り込んだ天然痘は1525~1526年までには南米まで達しておりピサロがインカ帝国に入ったころにはその人口の急減により政治基盤は崩壊寸前の状態だったようです。従軍司祭バルデルベはインカ王のアタワルパにキリスト教への改宗を求めるが王はこれを拒否します。するとバルデルベはピサロに「あのような者たちと議論しても仕方ない、やっつけなさい。ピサロとその兵士はこれからの流血に対するいかなる責めからも神の名において免ぜられる。」と叫びました。そしてインカ帝国の貴族を含む数千人が殺害され、アタワルパは捕らえられました。アタワルパはピサロへ黄金の財宝を渡す代わりに釈放を願い出ます。そして財宝がピサロの元へ運び込まれましたがピサロは約束を守らず、釈放はしませんでした。バルデルベが正義の名による裁判というもので彼を裁いた結果、一夫多妻・人民殺害等の罪という訳のわからない罪名による死刑が言い渡されてしまいます。火あぶりに処すということに決まりましたがバルデルベ司祭はキリスト教に改宗するのであれば苦痛の少ない絞首刑にするということで最終的にアタワルパはキリスト教に改宗したその後すぐに絞首刑に処せられます。その後はもうスペイン人のやりたい放題で、天然痘やチフスが免疫を持たないインカ帝国の民の間で大流行して多くの人が亡くなる中で生き残った民は金鉱を掘る作業に奴隷として従事させられました。その重労働によってさらに多くの人が命を落としていきました。

以上が過去の歴史においてスペイン人が中南米で行ったことで当時、現地に赴いてこれらの行為を見たスペイン人の司教ラス・カサスが問題として50年にわたり現地人の窮状を訴え続けていました。

ポカホンタスから話が脱線してしまい、しかも長くなりそうなので一旦ここで今回はおしまいにして次のブログでアメリカの大陸の開拓とポカホンタスの実話も絡めて話せればと思います。

Let it beよりLet it goは厳しいよね

白雪姫からアナ雪への飛躍

最近小学校1年生の子供がずっと家にいます。それはなぜか?小学校が休校だからです。ようやく6月から小学校も始まるようですがクラスを3つの班に分けて週2で通うようにして密を避けるとのこと…まだ通常に戻るまでに時間がかかりそうです。

で、子供が家にいる時何をしているか?うちの子供の場合はかなりの時間テレビを見ています。放っておけば3時間くらいずっと見ているので、そんなに見てはダメだとたまに怒りますが怒るとイジけたりします。アニメが大好きでドラえもんとクレヨンしんちゃんは鉄板です。土曜日が待ち遠しくてたまらないようです。アニメの映画もかなり見ていますが一時期繰り返し見ていたのが「アナと雪の女王」です。今も思い出したようにアナ雪を見始めることがあります。特に興味も無かったので一緒に見ることもなかったのですが、あまりにも何度も子供が見ていたので、最初はぶつ切りで目に入っていたストーリーがそのうちつながって全体がわかるようになりました。

思ったのはこれはおもしろい映画だなと、売れるのもわかる気がしました。ディズニー映画だと白雪姫とかシンデレラは有名というか知らない人はいないと思いますが女の子が王子様に見染められて幸せになるというストーリーで、うがった見方かもしれませんが男の権威に女が取り入るということで幸せを掴んでいます、夢ぶち壊し、ストーリー端折りすぎですいません。

アナ雪で出てくる王子様、ハンス王子は実は悪役という設定で、アナを助けるクリストフという男も脇役気味で、真実の愛で雪が溶ける話もクリストフとの愛で…というわけではなく姉のエルサとの愛によって成されます。序盤においては主役級の目立ちかたをするハンス王子が実は悪役というのは最初に見たときには衝撃的でした。

もっと言ってしまうとアナ雪においては男はアナとエルサの引き立たせ役でしかない、男に媚びることもないキャラが男からちょっと助けてもらいながら冒険するし、自分の殻を破って覚醒しちゃったりする。これは現代の女の子による女の子のための物語なんだと、そう思います。もう男に媚びる女性像は古い、権力や容姿で男を選ぶことはない、女の子は女の子の意思で自由に人生の選択をして強く生きていくんだという、そういうメッセージが込められているのではないでしょうか。白雪姫やシンデラの時代からの飛躍はかなりのものです。

ありのままの自分とは

劇中でエルサが自分自身の能力を解放する象徴的なシーンでLet it goという歌を歌います。これ、うちの子も大好きでお風呂とかで大声で歌い始めたりします、歌詞はめちゃくちゃですが…。

日本語バージョンだと「ありのままで」という副題がついていますがよくよく歌詞を聞いてみると、このままじゃダメなんだという動機からのありのままの自分になるという、そういう歌詞です。これけっこう実はツラい状況で現在の自分を受け入れてはおらず、本当の自分は環境などに押さえ込まれてしまって全ては出せていない、ということです。現代の女性の状況を象徴しているようにも感じます。

ビートルズの名曲Let it beもありのままという意味ですが、こちらは今のままの自分でもいいんじゃない?そんなに無理しなくて、というニュアンスが強いと思います。悟りの境地というかいろいろあるけどまあ、今のこの状況を受け入れてやっていきましょうという感じです。

キリスト教徒であるポール・マッカートニーが聖母マリア様からいただいた言葉として歌っていますから、かなり宗教感が入り込んだ厳格ささえ感じてしまう歌です。個人的にはやはりビートルズのLet it beの方が好きかな。なんか聞いていると落ち着きますし…小さい頃母さんがよくレコードで聴いてたのを思い出します。

Mother Mary comes to me

Speaking words of wisdom

Let it be

マリア様は僕のところに来て

素晴らしい言葉を言ってくれたんだ

ありのままでいいんだよって

なんか結局ビートルズいいよねみたいな感じで終わりますが、間違いなく言えるのは現代の要請はLet it beではなくLet it go!です、だからアナ雪はみんなが見る映画になったのだと思います。

裏を返すと現実と理想のギャップが大きい競争社会を象徴しているとも捉えることができます。ひねくれた見方かな…。

とりとめない話ですいません。