私自身は、この新型コロナ騒動はインフォデミックであると確信しています。
新型コロナ自体にはインフルエンザ以上の毒性はなく、デルタ株までは少し症状がきつい風邪のレベルでした。
しかし、テレビや新聞などによるメディアから実際のコロナの実力をはるかに超える恐怖を煽る間違った情報発信がされ続けた結果、それに洗脳された人々がヒステリック状態に陥ってそのまま抜け出せなでいる、このようにとらえています。
現在このような考え方は少数派だということも理解しています。
でもしかし、はたして、狂ってしまっているのは自分なのか?世の中なのか?
少数派が間違っているのか、多数派が正しいと言えるのか、考えてみます。
実際のコロナの毒性と乖離した過剰反応
最近のニュースではオミクロン株で沖縄は医療逼迫、そして1/8の全国の感染者(正確には陽性者数ですが感染者と言っている報道機関が多い)が8311人で急増とマスコミは大騒ぎ、大はしゃぎですが1/8の死者数は2人、重症者数1人です、日本全国で、です。


死者数と重傷者数を多くのマスコミで取り上げないのはなぜなのかわかりませんが、マスコミの提示する情報がかなり偏っているのは以前からで、たぶんオミクロンで恐怖をまだ煽りたいのだろうなと思いながら見ています。
オミクロン株については情報が出てきた当初から罹ってもほとんど無症状で重症化している人もおらず「自宅療養が可能で、パニックを起こす理由がない」ということを南アフリカの医師会のアンジェリック・クッツェー会長が繰り返し発言していました。
陽性者数に対して重傷者および死者が少ないということは既存で4種類存在しているただの風邪としてのコロナに近づいて、風邪コロナが5種類に増えただけだととらえることもできます。
この数字と情報を見ただけでもマスコミの騒ぎようと日本国民の反応は、実際に起きていることに対してひどく解離した過剰反応だとわかるはずですが、現実は沖縄などでまた、まん延防止措置を適用して県民の営業の自由や行動を制限するという動きが出ています。
そして、日本だけではなく世界も同様の反応の人がかなりいてオミクロン株の感染を抑えるためにワクチンのブースター接種、つまり3回目の接種を進めましょうという話も粛々と進行しています。
日本国民の80%近くが2回接種した後にオミクロン株が流行り始めるということはワクチンの効果自体が本当にあるのかどうかを疑わなければいけない、武漢株をベースに作られたワクチンがその後何度も変異をとげたオミクロン株には効かないのではないかなど私は思っていますが、そのような疑問を抱く人間は少数ということなのかもしれません。
人々がコロナ怖い怖いと言ったり、ワクチン打て打てと言うその理由として考えられることの一つとして人間の体がまるでサイボーグであるかのような歪んだ理解をしているから、またウイルスによる感染症などは人間がコントロール可能なものであるという間違った理解をしているからなのかもしれません。
「ワクチン」の存在意義そのものを疑ってみる
感染症に関する本を読むと必ず書いてあることですが、感染症は感染が拡がれば拡がるほど逆にその毒性は下がっていくという道をたどります。
毒性が強すぎて宿主が死んでしまうとウイルス自身も生きていけなくなるのでウイルスの存在を広い範囲で継続させるためには宿主と共存できる程度に毒性が弱くなっていくのは必然なのです。
そして、人間と共存できるレベルまでの毒性になればそこで平衡状態になって風邪として継続して存在するようになる、これがコロナの運命です。
最終的にどのような形で平衡状態になるかはそれぞれのウイルスによって違っていてインフルエンザのように毎年1000万人の感染者を出すというものもあれば、天然痘のように最終的に消えていくものもあります。
天然痘のワクチンについての話ですが天然痘は人類が過去に撲滅することができた唯一の感染症であると以前のブログにも書きました。
天然痘はワクチンのおかげで撲滅できたのではないのか?と思う方も当然いると思います、私も長い間そう思っていました。
ジェンナーが開発した初期の天然痘ワクチンは当時、技術がまだ未発達だったこともあり感染した人の皮膚の膿をダイレクトに他者へ腕や脚を外科のメスで皮下組織までえぐってそこに移植する方法でした。
しかしこれでは当然、汚染物質が混入しており、結核、ライ病、梅毒がこの接種が原因で多発しました。
感染者が途絶えると検体が取れなくなるという問題点もあり、この克服のために次に考えられたのが牛などの動物に移植して動物の皮膚で膿を培養しそれを人間に接種する方法ですがこれも当然ですがバクテリアや真菌、牛の細胞などの汚染があり破傷風が引き起こされ問題になりました。
いずれにしても天然痘ワクチンはウイルスを単離したものではなく汚染物質が多く含まれた代物でありそのおかげで天然痘が撲滅されたとは言い難いというのが現実なのです。
では天然痘が激減した要因はなんだったのか。
1851年にイギリスのレスター市で下水道が導入されさらに1881年には下水道換気システムが導入されました。
これにより天然痘感染死亡者がほぼゼロになり、乳児死亡率も激減しました。

天然痘は衛生状態の劣悪さが原因となる病気であったということです。
ワクチンの効果で感染者が減ったのではなかったのです。
この天然痘の話は崎谷博征の「ワクチンの真実」に出てくる話で、実はこの本を最初に読んだ頃は陰謀論的な内容も書いてあることもあり本当に信用してよいかわからないなという感覚もありましたが、その後もいろいろな本を読んだり考えたりした結果、意外とこの本に書いていることは極端な言説以外の部分はかなり真実に近いのではないかと思い始めています。
さらに衝撃的な内容としてあげられるのが、その他のワクチンについても疑義が述べられるのですがワクチンが導入される前から感染者は減少傾向にあったというものです。






ジフテリア、百日咳、麻疹、ポリオ、これら全て感染者が減少してからワクチンが導入されています。
猩紅熱(しょうこうねつ)と腸チフスについてはワクチンなしで感染がほぼおさまってしまっています。
これを最初に見たときは目を疑いました。
これが事実だとして、ではワクチンの存在意義とはなんなのか、そこまで問われてしまうほどのものです。
ワクチンがそれすなわち感染症に効果があるかどうかすら疑うべきものであるということなのです。
人間の体は最後に残された「自然」
マスクをすれば感染を防げるのでしょうか?
答えはノーです。
しかし、現実にはマスク警察と言われる方が、他人にマスクを強制してしまう極端な思考の持ち主と思われる方なので、こちらも少数だと思いますが存在します。
マスクで口と鼻のまわりを覆えば感染を防ぐことができる、あるいはかなりの効果があると信じていなければ他人に強制するところまでに考えは至らないでしょう。
現実は日本人の9割以上がずっとマスクで感染対策と呼ばれるものを続けてきたが、そんなこととはまったく関係なく感染者は増減しました。
ウイルスが分子時計によって変化して、ある程度の感染力を持つ変異をしたら感染者数は増加していきます。
そして感染者が増えて集団免疫の状態に到達したらそこから減少し始めます。
この変化に対して人間はまったくと言っていいほど無力です。
とは言っても、人間の体の中にある免疫機能は体に侵入する異物を追い出す働きをするので感染者数の増加を抑えることはできないとしても個人の体の中で免疫によってウイルスを撃退することはできます。
ワクチンによって得る中和抗体だけがウイルスに対抗できると思い込んでいる方もいるようですが、人間の体には自然免疫というものがあり、体に入り込んできた細菌などを貪食して処理してしまうマクロファージなども存在していますし、過去に類似のウイルスに感染したことがあれば交差免疫が働いて処理することもあります。
ワクチン接種だけがウイルスに対抗できるものではなく、もともと人間が本来持っている免疫力でもウイルスと闘うことができるのです。
また、ワクチンを接種した=感染しない、という方程式は成り立たないことはもうすでに広く知られています、重症化すら防げないこともあります、2回接種後にコロナに感染して死亡する方もいます。
さまざまな人工的な物質に囲まれて、ああすればこうなるという論理的、設計主義的ないわばバーチャルな世界に存在するのが人間ですが、しかしその人間の身体はまぎれもなく自然そのものだということを忘れてはいけません。
よく食べて、よく働き、よく遊んで、よく笑って、毎日を仲間や家族と有意義に過ごす。
それが最も免疫力を高めてくれる、そう信じています。